古事記・日本書紀に騙された日本の古代史

 史実を改竄・偽作された古事記・日本書紀の真相を糺した梅原猛氏はその著、「神々の流竄」79)で、おおよそ次のように述べている。

 「成り上がり者の藤原不比等は、自らの永続性を確保するために天皇家(当時は持統女帝)に取り入り、記紀の編纂に当たって、古代に遡って女帝統治の既成事実を作る必要があった」。

  さらに、「古代に大和朝廷誕生以前に栄えた出雲系王朝(須佐之男尊や饒速日尊)の痕跡を抹殺することだった。日向系の伊弉諾尊・伊弉冉命を天神とし、その娘・向津姫を皇祖神・天照大神に、またその甥の磐余彦尊を初代神武天皇に据えた。したがって、それ以外の系譜は改竄・抹殺する必要があり、出雲は抹殺した神々の流竄の地にしたのだろう」と。

 日本書紀の編纂をすすめていた当時の天皇は、天智(百済王子・翹岐)の娘・宝姫(日本名:W野讃良=持統女帝)である。それを監修していた藤原不比等は、女帝・W野讃良を持ち上げ媚びて、女帝統治の正統性を強調するために皇祖神を女神・アマテラス(大日靈尊:向津姫)に据え換えたのであろう。

 本来の皇祖神・天照御魂大神は、男性神で須佐之男尊の御子・饒速日(大歳)尊だった。饒速日尊は、「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」という立派な諡号で各地の古神社、天照御魂神社に祀られている。

そうした意図は、後に天皇名の称号を付けたとされる淡海三船(722〜785年)16)にも意識され、持統天皇の諡号を、なんと「高天原廣野姫天皇」と名付けているではないか。

 記紀の天孫降臨神話は高天原を舞台にしてしている。高天原とはどこだったかの詮索は無意味であって、これは全くのお伽話だった。強いて云えば八世紀の飛鳥朝廷における持統女帝を天孫と見立てた百済系皇族の居た宮殿とみることができる。

 史実を改竄・偽作した日本書紀の編纂途中で、W野讃良(百済王・宝の娘=持統天皇)は、日本書紀に都合よく整合させるため、古代から由緒ある神社の古文書や豪族の系図を没収し、抹殺してしまった。つまり、日本書紀第十卷、応神天皇までを書き上げた691年、記紀の記述と矛盾するものとして、以下の古文書、関連する氏族の系図を没収した13),53)という。

  持統天皇5(691)年8月13日条に、「其の祖等の墓記を上進らしむ」69)と簡単に書いているが、その意図は推して知るべしである。

○石上神宮(現在の天理市布留町)の古文書(須佐之男尊、大歳(饒速日)尊一族、その末裔である物部氏=出雲系)

○饒速日大王の陵墓で、三輪山(桜井市三輪)を御神体として祀る大神神社(斎主・三輪氏)の古文書。

○以下、豪族十六氏の系図 ・春日氏 ・大伴氏 ・佐伯氏 ・雀部氏 ・阿部氏 ・膳部氏 ・穂積氏 ・采女氏 ・羽田氏 ・巨勢氏 ・石川氏 ・平群氏 ・木(紀)角氏 ・阿積氏 ・藤原氏 ・上毛野氏の系図である。

 饒速日尊(ニギハヤヒ)の陵墓・大神神社を祀っていた大神(おおみわ:大三輪)朝臣高市麻呂は、大宝二(702)年二月十七日、左遷されて長門守に下ったが四年後に没している。また、同年八月十六日、石上神宮(饒速日尊一族)を祀る石上朝臣麻呂も太宰府に左遷されている(続日本紀)。朝廷と権力者・藤原氏は記紀で史実を改竄してそれが発覚・指摘されるのを恐れたのであろう。


 また、元明天皇は即位した和銅元(708)年正月、天下に大赦を出した。ただし、「山沢に亡命して禁書を隠し持っている者は、百日以内に自首せよ。さもなくば恩赦しない」という詔勅を出している70)。念には念を入れて、古代王族や豪族の系譜を抹殺しようと図っている。

 武内宿禰を祖とし、古来から朝廷の重臣として活躍してきた蘇我一族、弥生の太古に和国を創建し天王社で祀られた須佐之男尊、さらに大和朝廷の祖神で天照御魂神として祀られてきた大歳(饒速日)尊の偉業、それを祖にもつ物部氏とその系図が邪魔だったからである。

 ただ、藤原氏や大伴氏の系図については、藤原不比等はこれを都合良く書き換えたのであろう。そして、自身の父・中臣鎌子の出自を大伴氏系図にそっと挿入している。後には、不比等の孫・仲麻呂(恵美押勝)は、「鎌足伝」37)なるものまで書いてその正統性を主張しいる。


 記紀は黙秘しているが、そのうえ古代から各地の神社に祀られてきたスサノオ尊やオオトシ(饒速日=ニギハヤヒ)尊の祭神名の書き換えを命じ、スサノオ・オオトシ(ニギハヤヒ)の史実隠滅を謀ったようである。改竄された神名を集めてみると、

【須佐之男尊(素戔嗚尊):スサノオ】:八千矛~、大山津見~、家津美御子大神、速玉之男神、熊野速玉大神など。

【大歳(饒速日)尊:オオトシ(ニギハヤヒ)】:大国主、大物主、葦原色許男、日本大国魂大神、布留御魂大神、賀茂別雷、櫛玉、櫛甕玉、鴨大神、事解男命、豊日別、等々である。

 とにかく、歴史(記紀)に残すと都合の悪い人物に多くの名前を与え、正体を抹殺するというのが日本書紀の常套手段である74)という。

 出雲の大国主神は、「因幡の白兎」神話で、兄弟の荷物持ちの従者として古事記に登場する。本名は大穴牟遲命(おおなむじのみこと、日本書紀では大己貴)で、スサノヲの六代目の子孫と記されている。またスサノオの娘・須世理姫と結婚したとも記されている。スサノヲが生身の人間なら、その子供と六代目の子孫が同時代に生存することはあり得ない。見え透いた偽作である。

 オホナムヂはスサノオの末娘・須世理姫の婿養子で、スサノオの死後、二代目の和国王を継いだ人13),23)であることが分かった。また、オオナムヂは、スサノオが日向に遠征したとき、現地妻とした向津姫(ムカツヒメ:記紀で云うアマテラス)との間に出来た多紀理姫(田心姫)とも結婚していた13)ことが分かった。

 さらに、大国主神は併せて五つの名を持ち、別名は大穴牟遅神、葦原色許男神、八千矛神、宇都志国玉神、大国主神の和魂として大物主神となっている。説話により名前を使い分けている。

 これらは古事記の作者が、大国主を偉大な神に見せるために業績を偽作したものである。大国主命(大己貴、大穴牟遲)には、諡号は全く見当たらないし、大己貴命を祀る神社は日向の都農神社ぐらいしかない43)という。

 何故、大国主神をそこまで持ち上げる必要があったのか。思うに、大国主はスサノオやオオトシ(ニギハヤヒ)など、出雲系の偉大な神々の総称として創作された傀儡(かいらい)の神名だったことに気付いた。


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