日本書紀捏造事件裁判【3】

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判 官

 

 

 

 

 

 ただ今より、[日本書紀]・[古事記]の偽作事件について、日本国民並びに検察当局から提訴された諸般の事項について、逐一尋問を開始します。

 被告人において弁護人が必要であれば入廷を許し、判官が許可した上で随時発言を許します。なお、被告人、及び参考人、並びに弁護人は、判官の質問に対して、誠意を以て簡潔に答えて下さい。

 また、傍聴者は、被告人、及び参考人、並びに弁護人の発言を邪魔しないよう静粛に願います。

 それでは最初に、全般的な事項について、被告人に尋問します。

 [日本書紀]の編纂にあたって、それ以前からあった史料や伝承を参考にしたことと思いますが、それらの史料は[日本書紀]の完成後、どうしましたか。

被告人  [日本書紀]の撰録、完成後に焚書いたしました。

判 官

 

 

 

 

 

 両被告人に尋ねます。あなた方は、[日本書紀]の編纂途中で[日本書紀]の記述に都合よく整合させるため、古代から由緒ある神社の古文書や豪族の系図を没収、抹殺してしまった。つまり、[日本書紀]第十卷、応神天皇までを書き上げた持統天皇五(691)年、[日本書紀]の記述内容と矛盾するものとして、以下の古文書、関連する氏族の系図を没収した13),53)という訴えがあります。

○石上神宮(現在の天理市布留町)の古文書(素戔嗚尊、大歳(饒速日)尊一族、その末裔の物部氏。○饒速日大王の陵墓で三輪山を御神体として祀る大神神社(桜井市三輪)の大三輪氏の古文書(以上は出雲系)。○以下、豪族十六氏の系図(・春日氏 ・大伴氏 ・佐伯氏 ・雀部氏 ・阿部氏・膳部氏・穂積氏 ・采女氏 ・羽田氏 ・巨勢氏 ・石川氏 ・平群氏・木(紀)角氏 ・阿曇氏 ・藤原氏 ・上毛野氏)です。

 一体、何の目的でそうした行為を行ったのか、改めて問います。

被告人

 

 

 

 ご指摘のとおり、各氏族が所持していた古文書や系譜の提出を求めたことは確かです。[日本書紀]は、天武天皇十(681)年三月、先帝の発意により、古代からの誤った記録を正し、改めて帝紀及び上古の諸事を記すよう、川嶋皇子らが命じられ、大嶋子首らが撰録を始めました69)。その後、幾多の年月を費やして古文書や伝承を蒐集・精査しながら、[日本書紀]の編纂を指揮・監督に努めてまいりました。

 ただ、天武帝時代に、すでに撰録されていましたものは見直して推敲いたしました。


判 官

 

 

 

 

 被告人藤原不比等に尋ねます。元明天皇が即位した和銅元(708)年正月、天下に大赦を出したと、[続日本紀]にあります。それによると、「山沢に亡命して禁書を隠し持ち歩いている者は、百日以内に自首せよ。さもなくば恩赦しない」70)という詔勅を出しているが、[記紀]の記述内容に都合の悪い古代王族や豪族の系譜を念には念を入れて、抹殺しようと図ったのではありませんか。

 武内宿禰を祖とし、古代から朝廷の重臣として活躍してきた蘇我王朝一族、弥生の太古に和国を創建し天王社で祀られていた素戔嗚尊(須佐之男尊)、さらに大和朝廷の祖神で天照御魂神として祀られてきた大歳(饒速日)尊の偉業、それを祖にもつ物部氏と、その系図や事績が残っていると、後々、[日本書紀]の信憑性が問われることを恐れたからではありませんか。

 また、天武帝の指示で、天武天皇十(681)年三月から、川嶋皇子や大嶋・子首らが撰録を始めていたものも、被告人らが撰録に携わるようになって以降、可成りの部分を改竄・変更したのではありませんか。

被告人  実は、判官のご指摘される通りです。ただ、由緒ある天皇家万世一系の皇統譜を明確にしたかったのです。

判 官

 

 神武天皇の以前、すでに大和王国を建国し善政をしいた大きな業績から民衆の支持を得て、天照魂神として祀られていた須佐之男尊の御子/饒速日尊(天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊)13),23),62)を皇祖神とはせずに、何故、日向の向津毘売尊(大日霊女貴尊)を皇祖神・天照大神にしてしまった69)のか。被告人両名に問いたい。
被告人
藤原不比等

 ここにも出廷されている当時の帝・う野讃良(高天原廣野姫天皇:持統女帝)69)の切なるご希望で、女性天皇として即位することの既成事実と正統性を内外に公認して貰いたかったのです。その為には皇祖神が女神であったことを強調することといたしました。


判 官 被告人・野讃良の発言を許します。異論があれば申してみなさい。
被告人

 

 申し上げます。私が、先帝・天渟中原瀛真人(あまのぬなはらおきのまひと:天武)天皇の後を継いだのも、当時、皇位の簒奪を狙う多くの王子たちが居て、皇統の乱れを防ぐ必要があったからです。私の父/天智天皇亡き後、兄妹の大伴皇子を即位させたかったのですが、先帝(天武)の画策によって、壬申の乱69)によって斃死しました。事情、ご賢察下さい。

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