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更新:2007年10月07日 |
| 要 約 | 出自と系譜 | 在世年代 | 大歳を改名・饒速日 | 神社が語る | 筑紫から大和へ |
| 東遷部隊の面々 | 大和建国の偉業 | 考古史料 | 饒速日尊の死 | 皇祖天照魂神 | 饒速日の死後 |
| 饒速日尊系図 | 生存年代図 | 関連年表 | 出雲・大和一族の系図 | 日向一族の系図 | 引用文献・著者 |
| 【要 約】 | |
| ●弥生の覇王・大歳(改名・饒速日)尊の偉業を甦らせたい
大歳尊(以下オオトシと略記)の在りし日を再現しようと思う。ただ古代の実像は現在感覚でみる我々の思考を超えるものがあり、その真相究明には限界があるだろう。事柄の一側面を垣間見ているに過ぎないのかも知れない。 「大事なこと書き忘れているぞー!」と、オオトシのお叱りが聞こえるような気がして耳を清ますと、夜明けの彼方から氏神・大歳神社の祭殿で宮司さんが叩く太鼓の音がとぎれとぎれに聞こえて来た。 |
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▲饒速日尊肖像 |
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思えば、オオトシの重臣だった天道根命の後裔・紀氏の十代・紀男麻呂宿禰が推古天皇11(602)年、この地(紀の川市桃山町調月)にきて調月 (ちょうげつ)と名乗り、何よりも先に八万堂(やまんどう:現・山人平)に大歳明神を祀った50)。それから、はや千四百余年、紀氏の末裔が代々世々と宮司を務め、一朝とて欠かさずに祭祀される姿に接し、古事記・日本書紀(以下、記紀と略記)に史実を消されたオオトシ(改名・饒速日尊、以下ニギハヤヒと略記)の偉業を何としても甦らせたい。須佐之男尊(以下、スサノオと略記)、オオトシのすすめた「和」と「大和」の国造り、そして民衆の生活を慮った治世と彼らの思いを。 人身拉致や国際テロの絶えない昨今、為政者も国民も、国際摩擦や紛争を双方、和の誠意をもって解決し、共存共栄、世界の平和を希求していきたいものである。そして、このふる里が氏神大歳神に見守られながら、人情豊かで住みよい町としていつまでも栄えて欲しいと願っている。 スサノオと、その子神・オオトシは、神話の神として知られているが、実在した故人としての具体像は浮かばない。 古事記や日本書紀(以下、記紀と略記する)は、スサノオやオオトシの史実や偉業を抹殺し、古代の歴史を曖昧な神話にして、ごまかしてしまったからである。縄文・弥生時代と云えども、神代などという時代はなかった。 ●饒速日(大歳)尊は大和国建国の始祖王だった スサノオ・オオトシ父子一族は、弥生の黎明期に大きな偉業をあげて、出雲国から和国を創建・拡大し、オオトシは饒速日(以下、ニギハヤヒ)と改名し、大和に東遷して大和国の始祖王2),13),23),43)として、日本(ひのもと)国を命名した覇王だった。 オオトシ(ニギハヤヒ)は死して、「大歳御祖皇大神」・「皇祖天照魂神」として祀られていたが、8世紀に女帝・鸕野讃良(うのさんら:持統)と記紀の編者らが、日向の伊弉諾尊(イザナギ)の娘・向津姫を天照大神にし書き換えた。まさにアマテラスの横取りである。 天照大神を祀る伊勢神宮や大国主を祀る出雲大社は、記紀の記述にあわせて創建された。大国主も記紀の創作だった。 そしてスサノオが創建した和国やニギハヤヒの大和建国の史実を抹殺したばかりか、神社の神名や縁起まで改竄した。 スサノオ・オオトシの活躍したのは紀元前2世紀中頃から同1世紀後半頃だったことが、同時代の人物の墓碑が、コンピュータ画像解析で明らかになった。 ●青年・大歳の頃 スサノオの第五子・オオトシはBC146年頃、出雲で生まれた13),23),43)。若い頃から農業に熱心だったオオトシは、出雲の住人らとともに米作りにも精を出した証が地名や神社伝承23)に残っている。 父・スサノオは、山陰地方に侵出していた高句麗(オロチ)族を伐して櫛稲田姫を娶り、出雲国を建国した後、長男・八島野尊や次男・五十猛尊、三男・オオトシを連れ、部下の豪族らを率いて山陰・中・四国、そして九州諸国まで統一13),23)し、これを「和国」と名付けた。中国の史書「三国志・魏志倭人伝」は、同音の文字で「倭国8),25,60)」と書いた。見下げた表記であるが、その後の日本では、「倭」をヤマト16)と読ませるようになった。 スサノオの片腕となって力量を遺憾なく発揮した若いオオトシは、九州でも率いる諸豪族はもとより、その地の住民から篤い信望をあつめた。 九州南部の遠征では、日向国の王妃・伊弉冉(イザナミ)と娘・向津姫(ムカツヒメ)は合併に賛同したものの、伊弉諾(イザナギ)は合併を拒否して戦ったが、あえなく敗北した。 スサノオは、イザナギの命は助けて淡路島に流した。イザナミは宇佐に引き取られ、向津姫(記紀が偽作した天照大神)は、九州でスサノオの現地妻となって、宇佐や日向の政庁で連合和国の政務を手伝った2),13),23)。 オオトシは、スサノオの北九州統一に参加した後、筑紫に拠点を置き北九州を統治した。その後、BC122年頃に讃岐の金比羅山(祭神:大物主神)の地に遷り、瀬戸内沿岸を治めながら河内・大和以東の統一準備をすすめた。讃岐の琴平宮や島根の金比羅神社に残る社伝13),23)ががそれを伝えている。 さらにBC116年頃、播磨(兵庫県南部地方)に基盤を広げ、神戸辺りに拠点を置いて大阪湾岸、摂津・河内の豪族らと国家連合の交渉にあたったとみられる。 兵庫県には神戸を中心にオオトシを祀る大歳神社が三百八十社2),13),23)にものぼる。かなり長期にわたってこの辺りに滞在したものか、それともオオトシの配下豪族や邑長が多く居たのであろう。もちろん住民らの信望が篤かったことを裏付けている。 兵庫の地名も、オオトシの率いる多くの兵士たちの兵舎や倉庫が起原とみられ、神戸は古代、「かむべ」と呼び、神社に属して租、庸、調や雑役を神社に納めた民戸(じんこ)のこと16)である。 ●饒速日と改名、日本(ヒノモト)を建国。さらに東日本まで統一して大和国を建国 スサノオの死後、オオトシは父の見果てぬ夢を胸に秘め、播磨国から大和統一をめざして東征するときに、饒速日(ニギハヤヒ)と改名した13),23)。新たな大事業にかかる心機一転の改名だった。 和国王・スサノオが生前からの念願だった河内・大和以東の統一を決意したニギハヤヒ一行は、船で難波津(大阪湾)から古代の大和川をさかのぼり、磐船越(いわふねごえ)で大和に入った。 大阪府と堺をなす生駒連峰の中心、生駒山を越えるには、大和と河内を結ぶ磐船越が古代から通じていた23)という。 ニギハヤヒの末裔・物部氏が残した先代旧事本紀や日本書紀に、「この命、天磐船に乗り、天より下り降りる。虚空に浮かびて遥かに日の下を見るに国有り。よりて日本(ひのもと)と名づく」とある。 大和に入ったニギハヤヒは、鳥見の豪族・長髄彦(ながすねひこ)の妹・三炊屋姫(みかしきやひめ)を娶り、戦わずして長髄彦を配下におさめた。重臣たちを鳥見地方に配属し、いよいよ奈良盆地の東端、三輪山麓に本拠を移して本格的な大和の国造りが三輪山を基点として始まった23)。BC101〜102年頃のこととみられる。 ニギハヤヒは、このとき大和国を「だいわこく」と呼んだであろう。父・スサノオが建国した和国に、河内・大和以東を加えた大連合和国である。 ニギハヤヒが大和の地ですすめた多くの開発や都造りに向けた事績は、奈良と大阪を結ぶ大動脈、大和川の開鑿(かいさく)、日本最古の市場・海柘榴市(つばいち)の建設などの他、稲作指導はもとより、人々の病気の平癒、健康問題にも取り組んだ。 その名残が、ニギハヤヒの御陵でもある大神神社の鎮花祭(はなしずめのまつり)であり、約1100年も前に編纂された「大同類聚方」に、大歳神社に伝わる薬が記載されている23)のが何よりの証である。 かつて、父・スサノオは河内地方の統一には失敗した。河内勢力は当時、近畿一円から東海地方の一部まで勢力圏を広げていたので、スサノオの和国勢力に支配されるのに抵抗したのであろう。しかし、ニギハヤヒはその教訓を生かして戦略を練り、戦わずして平穏に合併をすすめた。集団戦闘の痕跡や伝承がない2)のがそれを裏付けている。 ニギハヤヒは、父の遺言を教訓に東日本の統一には河内勢力に中心的役割を与え、重要な地位と引き替えに国家統一に加入を誘って成功した。出雲系の方形周溝墓が、この時期を境に全国に分布して発掘されている2)ことからそれが推定できる。 河内一族は、ニギハヤヒの人柄と西日本でのそれまでの活躍をすでに知っていたのであろう。そして、近畿地方を統一したニギハヤヒは、さらに河内一族を引き連れて東日本統一に乗り出し、大和国の拡大に成功した2),13),23)。中国はその後の史書で、「邪馬臺国(やまとこく)」とか「邪馬土国(やまとこく)」8),25),60)と書いている。 東海・関東を概ね統合した後、東北の秋田あたりまで遠征した様子が、秋田の唐松神社(秋田県大仙市)の伝承に残っている。人々の生活や健康を考え、米作りや薬草の活用技術を教えながら、大和国への連合を誘ったとみられる。 ●死して皇祖神・天照御魂大神だった ニギハヤヒは65才前後で大和で亡くなり、大和から東・北日本統一の輝かしい功績を残して三輪山の磐座に埋葬された13),23),43)。姉弟とされている都麻津比賣・大屋津比賣、そして御子・伊須氣余理比賣命の墓碑の薨年干支59)から、BC81年頃のことと推定できる。 西日本では多数の大歳神社が、また東日本には大神神社や美和神社、三輪神社のほか、各地に残る天照神社、天照御魂神社などの主祭神として数多く祀られている13),23),43)ことが何よりの証である。 ことに、丹後国一宮とされている籠神社(元伊勢籠神社)は、今の天照大神が伊勢へ鎮座するまでの仮宮だった。ここでは彦天火明命(ニギハヤヒ)は、現在の天照大神や伊勢外宮に祀られている豊受大神よりも上位に祀られている神13)である。 諡号は、天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(あまてらす・くにてるひこ・あまのほあかり・くしたま・にぎはやひのみこと)で、まさに天照大神に相応しい諡号である。 しかし、大物主(おおものぬし)をはじめ、鴨大神(かもおおかみ)、別雷神(わけいかづち)、暗 ニギハヤヒが大和に入ったとき名付けた日本(ひのもと)は、その後、幾多の政乱で王朝変遷や他国との戦いを経ながらも、私たちのふるさと日本の国名として今に愛用されている。 ニギハヤヒの没後は、当時、末子が相続する習わしだったが、末子・御歳姫(古事記は伊須気依姫)がまだ2〜3才と幼かった。やむなく、兄の宇摩志麻冶(うましまじ)尊(長髄彦の娘・ミカシキヤヒメとの間に生まれた)が一時、政務を執っていた13),61)とみられる。 御歳姫が成人してから、スサノオと日向の向津姫の孫(熊野楠日尊の末子)伊波礼昆古(いわれひこ)尊を養子に迎え、伊波礼昆古は橿原で天皇として即位した。記紀が記す大和朝廷の誕生で、初代・神武天皇である。ときに、辛酉(BC60)年の2月11日(陽暦換算)13)のことである。 思えば、スサノオとニギハヤヒ父子は、それぞれ弥生時代に、和の心を心として和国、日本国(ひのもとのくに)、大和国(おおやまとのくに)の建国に汗を流した曙の覇王だった。 神祖として崇められたスサノオを祀る津島神社(愛知県津島市)に大同五(810)年正月、嵯峨天皇は「素戔嗚尊は則ち皇国の本主なり、故に日本の総社と崇め給いしなり」と称して「日本総社」の号を奉られ、総ての神の祖神として祀られた23)。 先立つこと、記紀編纂前の668年3月、近江に朝廷を構えた天智天皇は、大和朝廷の守護神・ニギハヤヒを奈良の大神神社から近江一の宮「日吉大社」に勧請された23)。ニギハヤヒは、もともと皇祖・天照御魂大神だったからである。 ●記・紀に史実を消された須佐之男尊・饒速日(大歳)尊 記紀は、古代和(倭)国の覇王・スサノオ、大和国建国の始祖王・ニギハヤヒの史実を神話でぼやかし、正しく伝えないばかりか、日向のイザナギの娘・向津姫(大日霊貴17))を天照大神にすり替えた。だから国民の多くは、いまだに天照大神は女神だと思っている。 また、国生みの親神・スサノオ、オオトシ(ニギハヤヒ)の偉業を、大国主(以下、オオクニヌシ)を創作して、その業績にしてしまった。スサノオや二ギハヤヒ以上に名声を高めるために仕組まれたスーパースター「オオクニヌシ」が捏造されたのである。 オオクニヌシは死後、八百年も経った霊亀(れいき)2(716)年、巨費を投じて創建された出雲大社に祀られ、傀儡(かいらい)のオオクニヌシを主人公にした物語りがつくられた13)。だから、国民はオオクニヌシは人望の高い偉人だったと思い込まされた。物語りのオオクニヌシは、恵比寿さまと並んで大黒さま16)として、この世を一人歩きしている。 7−8世紀、百済系王族に乗っ取られた飛鳥朝廷のもと、黒幕・藤原不比等の監修で編纂された記紀は、スサノオの創った和国、ニギハヤヒの日本王朝・大和国の古代史を抹殺してしまった。 記紀編纂の途中、持統天皇(百済・武王=舒明天皇の孫娘21))は都合よく整合するため、691年、日本で最も古いとされる大神神社(おおみわじんじゃ)と石上神宮(いそのかみじんぐう)の古文書をはじめ、豪族16家の系図を没収、抹殺してしまった13)。 スサノオ・ニギハヤヒを祀っていた全国の多くの神社の縁起や祭神名も書き換えさせられた。また江戸時代以降の日本政府は、太平洋戦争の終結まで皇国史観に拘り、中国、朝鮮半島王朝支配の史実を隠した2),13),23)。 しかし、記紀の成立以前に創建された多くの神社や地名が、生きた化石として残っている。その縁起や伝承、古史・古文が史実を今に伝えてくれる。 新たに発掘される考古資料、C14(放射線炭素)を駆使した遺跡・遺物の年代特定、そしてコンピュータ画像解析による墓碑銘の解読が、謎の弥生時代を甦らせてくれつつある。 つい最近まで、記紀を基にして作られた日本の歴史を、私たちは正しいものと思い込んで学んできた。痛いほどそれを知った今の我々にして、なお巧みに創作された記紀はじめ、それに基づいて書かれた書物に囚われ続けていることが、弥生の覇王・スサノオ・オオトシ(ニギハヤヒ)一族はもとより国民にとっても悲劇である。 百済からの仏教伝来で、天平勝宝元(749)年、国内の銅を尽くして聖武天皇が建造されたた奈良東大寺の大仏。国をあげての開眼供養から千二百年余。その大仏は今なお日本のシンボルでもある。 その栄光の陰に、我々は日本の生みの親、偉大な覇王・スサノオ・ニギハヤヒの名声没落の経緯が秘められていることに気づかされる。 |
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