大和国 建国の始祖王・大歳(改名・饒速日)尊  

更新:2007年10月07日

要   約 出自と系譜 在世年代 大歳は饒速日に改名 神社が語る 筑紫から大和へ
東遷部隊の面々 大和建国の偉業 考古史料 饒速日尊の死 皇祖天照魂神 饒速日尊の死後
饒速日尊系図 在世年代図  関連年表 出雲・大和一族の系図 日向一族の系図 引用文献・著者
【神社・考古史料が語る大歳(饒速日)尊】
青年・大歳時代

 若い頃から農業に熱心だったオオトシは、奥出雲の住人らとともに米作りにも精を出した証が地名や神社の縁起・伝承に残っている。

 島根県飯石郡三刀屋町(現・雲南市三刀屋町)に在る大歳神社の社伝によると、「大歳尊は三刀屋町に注ぐ深谷川津上に住んで、初めて耕作し田を起こした。稲苗を当郡種郷に蒔き、一窪田に植えると一寸二分の籾が稔った。これを炊いたところを神食田といい、今なお大年新田と称されている」23)とある。「一寸二分の籾」は伝承の誇張であろうが、その地名はまさに生きた化石である。


大物主神は大歳(饒速日)尊の改竄名

 オオトシは、父スサノオの九州統一に参加した後、筑紫に拠点を置いて統治した。その後25歳頃、讃岐の金比羅山に政庁を遷して瀬戸内から北九州地方を含めて治めながら、近畿以東の統一準備をすすめた。讃岐の琴平宮や島根の金比羅神社に残る社伝13),23)ががそれを裏付けている。ここでは神名を大国主大神の和魂とし、大物主神に変えられている。

讃岐(香川県仲多度郡琴平町)の金比羅宮由緒書きを調べてみると、

 「主祭神・大物主神は大国主神の和魂にあたる神様で、・・・国造りの神様として象頭山の金刀比羅宮に祀られていますが、大己貴神、八千矛神、大国魂神、顕国魂神など、多数の名前を持たれた神様です。

 大物主神は、万物をつかさどることを讃えた神名の通り、五穀豊穣や産業、文化などの繁栄と、国や人々の平安を約束してくれる神様です。神霊は、実にさまざまな働きをいたしますが、・・・大物主神様は平和と繁栄をもたらす和魂です」とある。

 また、「主祭神の大物主神は、天照大御神の弟、建速素盞嗚命(たけはやすさのおのみこと)の子、大国主神の和魂神(にぎみたまのかみ)で農業殖産、漁業航海、医薬、技芸など広汎な神徳を持つ神様として、全国の人々の厚い信仰を集めています」と。

 そして、「古伝によれば、大物主神は、・・・この琴平山に行宮を営まれ、表日本経営の本拠地と定めて、中国、四国、九州の統治をされたといわれています。その行宮跡に大神を奉斎したと伝えられています」という。


 和魂とは、柔和の徳をそなえた神霊。神霊の静的・穏和な側面。日本固有の精神。やまとだましい16)で、「穏和で落ち着いた大和魂をもち、国や人々の平安を約束してくれる神様」と、オオトシ(ニギハヤヒ)の人となりまで、詳しく社記に書いている。

 琴平周辺を中心に讃岐・伊予から平型銅剣の祭祀遺物が集中的に出土している。平型銅剣に鋸歯紋が彫り込まれているものが多く、これはオオトシ(ニギハヤヒ)のシンボルである。オオトシは、人心統一のためスサノオ祭祀にさらに磨きをかけた平型銅剣祭祀を行っていたとみえる。また、瀬戸内沿岸を統治するかたわら、河内や大和の有力豪族の状況を探っていたもの2)らしい。

 讃岐から東遷したオオトシ一族は、BC116年頃さらに播磨(兵庫県南部地方)に基盤を広げ、神戸辺りに拠点を置いて、大阪湾岸、摂津・河内の豪族と国家連合の交渉にあたったとみられる。

 兵庫県には大歳神社が三百八十社2),13),23)にものぼり、かなり長期にわたってこの辺りに逗留し、豪族や邑長、住民らの信望が篤かったことを裏付けている。

 兵庫の地名も、オオトシの率いる多くの軍兵たちの兵舎や倉庫が起原とみられ、神戸は古代、「かむべ」と呼び、神社に属して租、庸、調や雑役を神社に納めた民戸16)のことである。


大物主櫛甕玉命

 桜井市三輪の大神神社はじめ、各地の神社に祀られている「大物主=オオモノヌシ」の祭神について調べた神一行氏は、オオモノヌシはスサノオの息子・オオトシ(ニギハヤヒ)だったとして、次のように述べている。いずれも、桜井市三輪の大神神社から祭神を勧請したものである。

栃木市惣社町の大神神社:祭神・倭大物主櫛甕玉命(やまとおおものぬしくしみかたまのみこと)

岐阜県養老郡上石津村の大神神社:祭神・大物主櫛甕玉命(おおものぬしくしみかたまのみこと)

徳島県名東郡国府町の大神神社:祭神・大己貴命(おおなむちのみこと)の三社が載っている。

 同系列の「三輪」・「美和」神社を調べると、全部で13社があり、三神社ともすべてが主祭神・大物主神で、群馬県桐生市の美和神社には、祭神・大物主奇(櫛)甕玉、建速須佐之男命が祀られている。

 他に、多くの神社の祭神を調べた結果、出雲系の神が祀られていることがわかった。そして、大物主はスサノオの子で、オオトシであることが判明した。そして、大神神社の祭神・天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(ニギハヤヒ)もオオトシの諡名だった。また大歳彦というのもあるが、彦は王子につける尊称で、オオトシの幼名であるとし、結局、オオトシ=オオモノヌシ=ニギハヤヒという図式が成立した13)という。


 生駒山麓の東大阪市東石切町にある石切劔箭命神社(いしきりつるぎやみことじんじゃ)は通常、「おしきりさん」と呼ばれ、祭神は天照国照彦天火明櫛玉饒速日命・宇摩志麻冶命である。櫛甕玉・彦天火明とは、天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命の諡号の略称で、本名は饒速日命である。

 丹後国一宮とされている籠神社(このじんじゃ:元伊勢籠神社)は、天照大神が伊勢へ鎮座するまでの仮宮だったが、ここでは「彦天火明命、亦の名を天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊と申し上げ云々」とあり、今の皇祖神・天照大神や伊勢外宮に祀られている豊受大神よりも上位に祀られた神である13)という。


 奈良県磯城郡田原本町大字八尾にある鏡作坐天照御魂神社の祭神は、天照國照彦天火明命、石凝姥(いしこりどめ)命、天児屋根(あめのこやね)命である。

 境内由緒によると、鏡作坐天照御魂神社(略称:鏡作神社) 祭神 天照国照彦火明命・石凝姥命・天糠戸命

由緒  「倭名抄」鏡作郷の地に鎮座する式内の古社である。第十代崇神天皇のころ、三種の神器の一なる八咫鏡(やたのかがみ)を皇居の内にお祀りすることは畏れ多いとして、まず倭の笠縫邑におし祀り(伊勢神宮の起源)、更に別の鏡をおつくりになった。

 社伝によると、「崇神天皇六年九月三日、この地において日御像の鏡を鋳造し、天照大神の御魂となす。今の内侍所の神鏡是なり。

 本社は其の(試鋳せられた)像鏡を天照国照彦火明命として祀れるもので、この地を号して鏡作と言ふ。」とあり、ご祭神は鏡作三所大明神として称えられていた。

 古代から江戸時代にかけて、このあたりは鏡作師が住み、鏡池で身をきよめ鏡作りに励んだといい、鏡の神様としては全国で最も由緒の深い神社である」と書かれている。

 どうやら、この神社はニギハヤヒ一族の関係者が祀ったようで、主祭神:天照国照彦火明命(饒速日命)が天照大神だと訴えているようにもとれる。社名を天照神社とし、饒速日尊を祀る古神社は他にも沢山ある。


 各地の神社伝承を調べ、ニギハヤヒ(饒速日)は、スサノオの第五子で別名を大歳(大年)であると確認した小椋一葉氏も、経過を次のように述べている。

 京都大原野灰方町にある大歳神社の記録によると、同社は代々、石棺や石材を造っていた古代豪族の石作連(やざこむらじ)が祖神を祀った神社だとされ、「石作連は火明命の子孫で、火明命は石作連の祖神と云う」と明記されている。また、岐阜県岐南町にある石作神社の記録に、「石作連は尾張氏と同祖で、天火明命の裔孫である」と書かれている。

 愛知県一宮市の真清田神社の由書記に「祭神は天火明命(詳しくは天照国照彦火明命、一つに天照国照彦火明櫛玉饒速日命)と云い、真清田の農業地帯を開拓された尾張氏の祖神である」ということで、ニギハヤヒの諡号は、天照国照彦天火明櫛玉饒速日命で、「天火明命」はフルネームの一部であった。

 この他に、フルネームで祀っている神社には、愛媛県松山市の国津比古命神社、福岡県鞍手郡宮田町の天照神社がある。同社の記録には、「物部阿佐利が風早国造(かざはやのくにつこ)に任ぜられて饒速日尊及び宇摩志麻冶命を祭礼、櫛玉饒速日命神社と称した」と書かれている。

 ところで記紀は、天火明命はアマテラスの長男の天忍穂耳尊の子としているが、これは信用できないということがわかった。神社の祭神は二人以上祀られているときは、親しい関係にあった同士、夫婦、親子、一緒に仕事をした者同士、主従関係等であるが、天火明命と天忍穂耳尊が一緒に祀られている神社は見当たらない23)という。

 京都の八坂神社には、スサノオの八人の子が祀られ、そのうち第五子に大歳神の名前がみえる。スサノオの出身地、島根県にはオオトシを祀る神社が多い。飯石郡三刀屋町にも大歳神社があるが、島根神社庁発行の「神国島根」によると、「須佐之男命、出雲に於いて大歳を生み給い・・・」と書かれている。オオトシはスサノオの子だったことは間違いない23)。こうしてニギハヤヒは、またの名をオオトシと云い、スサノオの子であることが判然とした。

 筆者のふるさと・紀の川市桃山町調月の大歳神社は、推古天皇11(603)年、紀氏の十代・紀男麻呂宿禰が調月を拓き、八万堂(現:山人平)に大歳神を創祀したのに始まる50)。千四百年余の歴史をもっている。

 オオトシの兄神・五十猛命は木(紀)国の始祖で、和歌山市伊太祁曽の伊太祁曽神社に祀られ、木の神様として今も全国各地の木材業界の信仰が篤い。紀伊国はもと紀国、太古には「木国」だったという。


改竄・偽作された多くの神名

 オオトシ(ニギハヤヒ)は、多くの神社で神名を改竄・偽作さたり別名で祀られている。

 ニギハヤヒは、他に櫛玉(くしたま)、櫛甕玉(くしみかたま)、鴨大神(かもおおかみ)、別雷神(わけいかづち)もニギハヤヒだった23)

 その他に、暗(くらおかみ)事解男(ことさかお)命、豊日別(とよひわけ)、金山彦(かなやまひこ)神、家都美御子大神(けつみこのおおかみ)などの別名がみられる2),13),53)が、これらの多くは、大歳(饒速日)の史実を消すために、神名を改竄させられたものとみられる。

 そして、三輪山は、偉大なる覇王・ニギハヤヒのお墓だった。ニギハヤヒの末娘は御歳(みとし)で、比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)、媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)とも呼ばれているが、本名は高照姫(たかてるひめ)と呼ばれている23)ともいう。

 ニギハヤヒの死後、伊波礼昆古命(磐余彦:イワレヒコ)は、御歳姫(みとしひめ)、つまり大王・ニギハヤヒ家に養子に入り、神武天皇として即位したので、日向出身のイワレヒコは、ニギハヤヒの御子ということで、日向王子・日向御子と呼ばれた23)ようである。

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 三輪山の山辺の北限に、天照皇大神を祀る檜原神社(ひばらじんじゃ)がある。

  奈良には、大神神社(おおみわじんじゃ)と並ぶ大社が天理市の大和(おおやまと)神社石上神宮(いそのかみじんぐう)があり、戦前までは国家管理の官幣大社だったという。

 大和神社の祭神は、中央:大和大国魂大神(やまとおおくにみたま)(大地主大神=ニギハヤヒ)。右:八千矛大神(やちほこ)。左:御歳(みとし)大神となっている。

 八千矛大神は父・スサノオで、御歳(みとし)大神はニギハヤヒの末娘である。

 

石上神宮(奈良県天理市布留町布留384


 ニギハヤヒの神名を創作名で祀った神社には、次のようなものがある53)。このうち、奈良県天理市の石上神宮の布留御魂(ふるのみたま)大神の「布留」は、ニギハヤヒの蒙古名43)だとみられている。

 ・ 奈良県桜井市 大神(おおみわ)神社  大物主大神

 ・ 天理市新泉町 大和(おおやまと)神社 日本大国魂(やまとおおくにたま)大神

 ・ 奈良県天理市 石上神宮 布留御魂(ふるのみたま)大神

 ・ 和歌山県本宮 熊野本宮大社 家都御子(けつみこ)大神(同社の案内書では素戔嗚尊4)としている)。他に事解男(ことさかお)命(ニギハヤヒ)が祀られている。

 ・ 海南市藤白 藤白神社は、ニギハヤヒの後裔・熊野連の末裔・鈴木氏が平安時代に熊野三山から勧請して氏神を祀ったとしている。

 ここでは、主祭神はさすが改竄名でなく、「饒速日尊」と明記していることからみて、熊野本宮大社の「事解男(ことさかお)命」は、もとは「饒速日尊」だったことがわかる。改竄したのはいつ頃のことかは大凡見当が付く。記紀の編纂途上か完成後のことであろう。

 ・ 京都市上賀茂 賀茂別雷(かもわけいかづち)神宮  祭神の賀茂別雷神は、饒速日(大歳)尊の改竄神名である。


 記紀以前の古代から大和に祭られ、朝廷が頻繁に参拝している神社には、いずれもニギハヤヒが祭られており、スサノオの子である。

 また、静岡市の別雷神神社では往古には「大歳御祖皇大神」として祭られていたとあり、同市の浅間神社には「大歳御祖神社」が今も祀られている。

 西日本では大歳御祖・大歳御祖皇大神として祀る神社も多く、古代には皇祖神だったことがわかる。大和の大きな神社にすべて祭られ、皇祖であればこそ歴代の天皇も参拝を欠かさなかったという事実が証明している2)という。

 大分県宇佐市の宇佐八幡大社の祭神・八幡大神は、今は応神天皇ということになっている。しかし、本来はニギハヤヒの父・スサノオだった53)という。


 これまでにみてきた、スサノオ、ニギハヤヒ父子の行動と国造りに向けた事績は、各地の豪族や住民もその心を心として追随し、崇敬した結果の神社であろう。だから、死して神と崇められ、その功績の大きさに応じた諡号がつけられたのである。

 スサノオは、「神祖熊野大神櫛御気野尊」、ときには「布都斯御魂大神」あるいは「大山津見神」で、ニギハヤヒ(オオトシ)は、「天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日尊」である。

 これ程に崇めた尊い諡号は他にない。父・スサノオは神祖であるが、ニギハヤヒはそれ以上の諡号で、「皇祖天照大御神」そのものと云える。


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