大和国 建国の始祖王・大歳(改名・饒速日)尊  

更新:2007年10月07日

要   約 出自と系譜 在世年代 大歳を改名・饒速日に 神社が語る 筑紫から大和へ
東遷部隊の面々 大和建国の偉業 考古史料 饒速日尊の死 皇祖天照魂神 饒速日尊の死後
饒速日尊系図 在世年代図  関連年表 出雲・大和一族の系図 日向一族の系図 引用文献・著者
【饒速日尊 薨御】
三輪山頂の奥津磐座に葬られる

 縦横無尽に生きた偉大な大王・ニギハヤヒにも、ついに命の尽きる日がきた。年月日までは定かでないが、末娘の御歳姫(伊須氣余理比賣命)が生まれていたこと、そして伊波礼昆古命(神武天皇)とBC61-60年に結婚していることから、BC81年頃、齢60歳代半ばでなかったかと推定できる。

 小椋一葉氏は神社伝承などをもとに、息を引きとる最期におけるニギハヤヒの国造りにかけた彼の思いや、周りの人たちの死後の悲しみを次のような名文で追憶している。

 遺骸はニギハヤヒの遺言に沿って、彼がこよなく愛した三輪山に埋葬された。この山に鎮座して、永く王城の地を見守り、大和の国と民の守護神になろうとしたのである。

三輪山頂の「奥津磐座」

三輪山頂の「奥津磐座」

ニギハヤヒの墳墓とも伝承されている檜窪塚

ニギハヤヒの墳墓とも伝承されている檜窪塚(山伏塚とも)
生駒市平井1882

 檜窪塚は何らかの伝承をもとにして、後世に造られたとみられる

 それ以降、人々はニギハヤヒが眠る山を神山と呼び、いつしか三輪山と書かれるようになった。そして、大いなる祖霊が鎮まっている神体山と伝えて崇拝してきた。

 偉大なる大神が三輪山に鎮まり、永久に大和の国を見下ろしておられると、古来から人々は堅くそう信じてきた。

 三輪山に拝殿を造り、神主を置いて特別に祭祀を行うされたのが、崇神天皇である。こうして、日本最初の神社・大神神社(おおみわじんじゃ)が、ニギハヤヒの御陵に誕生したとみられている。

 三輪山の麓には、10代・崇神天皇の磯城瑞籬宮をはじめ、11代・垂仁天皇、12代・景行天皇、21代・雄略天皇、29代・欽明天皇の宮が、それぞれ造営されている。

 なかでも、崇神天皇は、最もニギハヤヒ大王を崇敬された天皇である。大王が亡くなってからすでに1世紀が過ぎようとしていた。その間、神武天皇はじめ、歴代天皇はそれぞれ大和朝廷の確立に尽力され、朝廷の力は列島全土に波及しつつあった。


 ニギハヤヒは、日本海を臨む遙かな出雲で生まれ、なだらかな青垣山に囲まれたあの大和で波瀾に満ちた生涯を閉じた。死の跫(あしおと)が忍び寄るなかで、彼の脳裏をよぎるのは何だったろうか。

 あの豊かな斐伊川の流れ、川面から立ちのぼる朝靄、宍道湖に沈む真っ赤な夕日、静かに軋る艪の音。村人たちと耕した土の香り・・・。懐かしい心のふるさと出雲の風景の断片が、意識の表面に切れ切れに浮かんでは消え、消えては浮かんでくる。

 そして、父・スサノオとともに駆けめぐった、あの筑紫の山野。あの頃、まだ20歳を過ぎたばかりで「歳」と呼ばれた青年だった。彼の率いる軍勢は、行く先々で畏敬の眼差しで迎えられた。あれは本当に自分だったのだろうか。遙かに遠い幻だったような気がする。

 そしてあれ以来、片時も忘れることのなかった父との別れの日・・・ 大切にしていた十種神宝(とくさのかんだから)をしっかりと彼の手に渡してくれた父の、あの涼しく澄んだ眼差し。大きくて温かかった手のぬくもり。

振り返ると、巨きな父の姿がいつまでも朝靄のなかに浮かんでいた。須賀の御室山にかかる雲はほんのりと赤みを帯びていた。

 父・スサノオの見果てぬ夢を夢として、彼は今日まで生きてきた。その夢は、まだ夢の香りを残してはいる。大和の東には、まだ大和の力の及ばぬ広大な地の広がりがあるのだから。

 だが、彼のまぶたのうちには、風に揺れる黄金の穂波が果てしなく続いていた。そして、飛翔する意識がその彼方に建設の歌声を捉えようとしたとき、彼はふと今までになかった心の安らぎに襲われた。

 そして、大きな両腕を広げて立ちはだかる懐かしい父の姿を、燦々と降り注ぐ日射しのなかに鮮やかに見たように思った・・・23)

 ニギハヤヒは、少年・オオトシ時代から目鼻がくっきりして、きりっとした美男子だった。いま、その死顔は微かにほほえんだような唇。静かに閉じたまぶた。その姿を想像すると神様そのものだったであろう。


 思えば、ニギハヤヒは、父・スサノオの最上の理解者で、絶大な崇敬者だった。三輪山は、古来・御室山、三諸山とも呼ばれている。

 ニギハヤヒの時代には、三輪山は「御室山」とよばれていたと思う。なぜなら、スサノオが営んだ日本最初の宮、出雲の須賀神社後方の八雲山は、昔は「御室山」だったからである。ニギハヤヒは、懐かしい父の須賀の館の山にちなんで「御室山」と名付けただろう23)という。


もとに戻る 次に進む

魅惑のくだもの チェリモヤ   古代史の真相を糺す(サイトマップ)へ