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更新:2007年10月07日 |
| 要 約 | 出自と系譜 | 在世年代 | 大歳尊 饒速日に改名 | 神社が語る | 筑紫から大和へ |
| 東遷部隊の面々 | 大和建国の偉業 | 考古史料 | 饒速日尊の死 | 皇祖天照魂神 | 饒速日尊の死後 |
| 饒速日尊系図 | 生存年代図 | 関連年表 | 出雲・大和一族の系図 | 日向一族の系図 | 引用文献・著者 |
| 【青年・大歳尊 改名して饒速日に】 |
| ●出雲・播磨を中心に西日本、四国・九州には大歳尊(オオトシ)を祀る神社は数多い
兵庫県・島根県を中心に、大歳尊・大歳明神・大歳御祖として祀る神社が多いが、大和以東では大歳神社は少ないのは何故だろうか。特に、出雲では若い頃のオオトシにまつわる伝承が多い。 ●大歳尊は河内から大和に入った頃に饒速日に改名した 神社の縁起や伝承を調べているうちに、大和に入ったときか、その前かは定かでないが、饒速日に改名していることがわかった。河内・大和以東で饒速日尊として祀られ、もとは大歳尊だったことがわかった13),23,)43)。 播磨・摂津から河内・大和に遷るとき、大和統一をめざしての大事業にかかる心機一転の改名だったのであろう。御年41歳頃のことと推定される。 物部氏の残した先代旧事本紀に、「天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりのくしたまにぎはやひのみこと) (亦の名は天火明命(あめのほあかりのみこと)。 亦の名は天照国照彦天火明尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりのみこと)。 亦の名は饒速日尊(にぎはやひのみこと)。亦の名は膽杵磯丹杵穂命(いきしにきほのみこと))とある。 先代旧事本紀には大歳尊という名前は全く見当たらない。たぶん先代旧事本紀も、スサノオとの親子関係を消すために、朝廷からの指図で抹殺されたものと思われる。 ●系譜や神名まで改竄された大歳(饒速日)尊 「天照霊貴(あまてらすひるめむち)の太子(ひつぎのみこ) の正哉吾勝勝速日天押穂耳尊(まさやあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)は、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと) の娘の萬幡豊秋津師姫栲幡千千姫命(よろずはたとよあきつしひめたくはたちちひめのみこと)を妃とし、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊が生まれた」とあるが、これは系譜の偽作である。 天照大神と高皇産霊尊は共に生きておいでなので、天孫亦は皇孫と云う。天祖(あめのみおや=スサノオ)は、天璽(あめのしるし)の十種の御宝を饒速日尊に授けられた。 この尊は天神の御祖(みおや)の詔を受け、天磐船(あめのいわふね)に乗って、河内の国の河上の哮(いかるが)の峯に天下られた。そして大倭の国の鳥見の白庭山に移られた。 天磐船に乗って大空を駆け行き郷を巡り見て天下られた。空から見た日本の国とはこの事を云う。饒速日尊は長髄彦の娘の御炊屋姫(みかしきやひめ) を娶って妃とし、宇摩志麻治命(うましまちのみこと)を生む(先代旧事本紀)とある。 ここでは、天照霊貴(あまてらすひるめむち)の太子・天押穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)の子、天照霊貴(あまてらすひるめむち)の孫にされている。 |