大和国 建国の始祖王・大歳(改名・饒速日)尊  

更新:2007年10月07日

要   約 出自と系譜 在世年代 大歳を改名 饒速日に 神社が語る 筑紫から大和へ
東遷部隊の面々 大和建国の偉業 考古史料 饒速日尊の死 皇祖天照魂神 饒速日尊の死後
饒速日尊系図 在世年代図  関連年表 出雲・大和一族の系図 日向一族の系図 引用文献・著者
【大歳(改名・饒速日)尊の在世年代】
大歳尊の誕生

 オオトシは、父・スサノオと母・櫛稲田姫の第五子三男として、BC146年頃に出雲で生まれた。父・スサノオは当時、山陰・北陸地方の諸豪族をまとめて和国を建国し、次々と国の拡大をめざして活躍していた頃で、父母ともにすでに40歳を過ぎていたとみられる。詳細は、スサノオの在世年代在世年代図を参照いただきたい。

 オオトシ(ニギハヤヒ)の墓碑はみつかっていないが、姉とされている都麻津比賣の墓碑が、和歌山市岩橋の岩橋古墳群で発見され、「戊寅年七月五日 御年六十四歳」59)とあり、異母兄弟の甥にあたる神倭伊波礼昆古命(神武天皇)や五瀬尊(神武天皇の兄)の墓碑からみて、オオトシ(ニギハヤヒ)の誕生年代が推測できる。


父スサノオに従って九州に遠征

 生まれながらにして美少年だったオオトシは、頭脳明晰で父・スサノオに似て武勇にも優れていた。父はじめ、兄の八島野尊や五十猛尊に何かと技量を仕込まれたのであろう。

 BC136年頃、父・スサノオが筑紫・豊(北九州)に、和国連合を呼びかけて遠征したときは若干11歳の幼年ながら、兄・八島野尊や五十猛尊たちとともにスサノオに従って大人顔負けの活躍をした。引き続き、日向(南九州)にも遠征して、イザナギやその配下と一戦を交えた。


父スサノオの遺言を受け、大和をめざして東遷、三輪山麓に大和国・饒速日王朝を創建

 BC124年頃、父スサノオは、オオトシに河内・大和に東遷して以東を和国に統合するよう遺言して亡くなられた。スサノオはかつて、大阪湾岸にも遠征し、河内一族にも和国連合を呼びかけたが失敗していた。

 筑紫を統治していたオオトシは父の死後、筑紫の遠賀川河口から部下を率いて讃岐へ、そして播磨へ、さらに饒速日(ニギハヤヒ)と改名し、河内から大和に東遷。

 三輪山麓に大和国・ニギハヤヒ王朝を創建したのがBC102年、45歳頃のこととみられる。その後、東海・関東、東北の秋田あたりまで統合・拡大に成功し、BC90年頃に大和に帰還た。57〜58歳のこととみられる。


饒速日尊薨御、三輪山の磐座に埋葬される

 大和に帰還して、三島の湟咋の娘・勢夜陀多良比売との間に末子・御歳姫(伊須氣余理比賣命)がBC82年頃に誕生。間もなく他界された。御年66歳、BC81年頃のことと推定される。

 人々はニギハヤヒの死を惜しみ、三輪山の山頂に磐座を造って埋葬した。大神の鎮まる神奈備を大神山と称え、いつしか大神(おおみわ)山から三輪山と呼ぶようになった。第十代崇神天皇は、三輪山麓に拝殿を造って拝まれたのが、大神(おおみわ)神社の起原である。


末娘・御歳姫(伊須氣余理比賣命)が伊波礼昆古命を婿養子に迎え、饒速日尊の大和朝廷を相続

 ニギハヤヒの相続人で末子・御歳姫(伊須氣余理比賣命)が、日向から従兄弟にあたる狭野命(伊波礼昆古命)を婿養子に迎え、伊波礼昆古命は辛酉(BC60年)年二月二十一日(陽暦換算)、橿原宮で初代神武天皇として即位した。神倭伊波礼昆古命(神武天皇)の墓碑は、「丙子年三月十一日薨、御年六十三歳」59)とある。

 記紀は、ニギハヤヒの大和建国の偉業を隠し、この経緯(いきさつ)を完全に葬った。しかも、神武天皇の薨年を百三十七歳と嘯(うそぶ)いた。


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