大和国 建国の始祖王・大歳(改名・饒速日)尊  

更新:2007年10月07日

要   約 出自と系譜 在世年代 大歳を改名・饒速日に 神社が語る 筑紫から大和へ
東遷部隊の面々 大和建国の偉業 考古史料 饒速日尊の死 皇祖天照魂神 饒速日尊の死後
饒速日尊系図 在世年代図  関連年表 出雲・大和一族の系図 日向一族の系図 引用文献・著者
【饒速日の東遷と随行部隊】
 オオトシを改名したニギハヤヒの東遷出立地と、それに随行したメンバーについて、大野七三氏51)は次のようにみている。

 スサノオによって九州全域が平定された後、オオトシは北九州方面をスサノオの代行として統治していた。その本拠地は、久留米市高良山附近とみられる。

 高良山は、標高322メートルという小峯であるが、筑後平野のなかに吃立して、西に佐賀県の背振山(1055メートル)を指呼の間にし、西南はるかに有明海を望み、足下の沃野に蛇行する筑後川を俯瞰(ふかん)できる場所である。

 また、北麓には古代の筑後国衛(合川町)、国分寺(国分町)もあり、筑・肥・豊の前後六ヶ国から水陸の交通路が集中している要衝の地である。

 北九州を統治するに最適地とみて本拠としたのであろう。そのため、高良山頂にある高良大社(旧国幣大社)附近を中心に遠賀川、筑後川沿岸にはニギハヤヒを祭神とする古社が多く、古代から土地の住民に崇敬されていたことが察せられる。

 北九州で、ニギハヤヒおよびその従者を主祭神とする神社を列挙すると、

 ○高良大社 福岡県久留米市御井町 主祭神 霊照大神(たまてるおおがみ=饒速日尊)。現在は高良玉垂命になっている。

 ○伊勢天照御祖神社 久留米市大石町 主祭神 天火明命(饒速日尊)

 ○物部神社 佐賀県三養基郡北茂安町 主祭神 物部経津主神(もののべのふつぬしのかみ)(饒速日尊)

 ○福童神社 福岡県小郡市寺福童 主祭神 天照国照彦天火明命(饒速日尊)

 ○天照神社 福岡県鞍手郡宮田町磯光 主祭神 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊

 ○亀山神社 福岡県鞍手郡小竹町 主祭神 大歳尊(饒速日尊)

 ○古物神社境内社 布留御魂社(ふるみたましや)鞍手郡鞍手町古門 主祭神 布留御魂神(ふるみたまのかみ)(饒速日尊)

 ○赤星神社 久留米市高良内町坂口 主祭神 天津赤星(あまつあかほし)(饒速日尊に従い東遷した従者)

 これらの神社から推察すると、東遷前にニギハヤヒが統治していた範囲は、福岡県でも遠賀川と筑後川を中心とした地域が主だったとみている。


饒速日の東遷に随行した従者

 ニギハヤヒが東遷を決意したのは、父スサノオが亡くなられてからのことと思う。当時の九州は、北九州はニギハヤヒが治めていたが、南九州はスサノオが日向におられたときの妃であった大日霊女貴(向津姫)が治めていた。その監視のために、スサノオに代わって出雲から大己貴命(大国主神)が日向に赴任していた。

 大己貴命は、スサノオの娘・須世理比売(すせりひめ)の夫で、ニギハヤヒとは義理の兄弟であるが、二人の仲はあまり良くなかったとみている。

 ニギハヤヒにすれば、父スサノオが亡くなられてから、南九州も勢力範囲にしたかったのであろう。しかし大己貴命が南九州にいるので儘ならず、それよりも本州の中央部に出て勢力を拡げた方が得策と考えてか、大和(奈良県)に東遷することを決意したもの51)というが、これは父スサノオの生前からの念願でもあった23)

 「先代旧事本紀十巻本天神本紀」に、「饒速日尊(大歳尊)は天神(スサノオ)より「天璽瑞宝(あまつしるしみづのたから)」を授けられ、三十二人の従者と二十五部の物部(軍団)その他を従えて、大和に天降られた」としている。


東遷に随行した従者名簿 『先代旧事本紀』から51)

天香語山命(あまのかごやまのみこと):尾張連等祖(をはりのむらじたちのおや)=饒速日尊の御子

天鈿売命(あまのうずめのみこと):猿女君等祖(さるめのきみたちのおや)

天太王命(あまのふとたまのみこと):忌部首等祖(いむべのをむたちのおや)

天児屋命(あまのこやねのみこと):中臣連等祖(なかとみのむらじたちのおや)

天櫛玉命(あまのくしだまのみこと):鴨県主等祖(かものあかたぬしたちのおや)

天道根命(あまのみちねのみこと):川瀬造等祖(かわせのみやつこたちのおや)

天神玉命(あまのかむたまのみこと):三嶋県主等祖(みしまのあかたぬしたちのおや)

天椹野命(あまのくののみこと):中跡直等祖(なかとのあたひたちのおや)

天糠戸命(あまのぬかとのみこと):鏡作連等祖(かがみつくりのむらじたちのおや)

天明王命(あまのあかるたまのみこと):玉作連等祖(たまつくりのむらじたちのおや)

天牟良雲命(あまのむらくものみこと):度会神主等祖(わたらへのかんぬしたちのおや)

天背男命(あまのせをのみこと):山背久我直等祖(やましろのくがのあたひたちのおや)

天御陰命(あまのみかげのみこと):凡河内直等祖(をしかうちのあたひたちのおや)

天造日女命(あまのつくりひめのみこと):阿曇連等祖(あづみのむらじたちのおや)

天世平命(あまのよむけのみこと):久我直等祖(くがのあたひたちのおや)

 手(ての)

天斗麻彌命(あまのとまねのみこと):額田部湯坐連等祖(ぬかたべのゆさのむらじらのみおや)

天背男命(あまのせなをのみこと):尾張中嶋海部直等祖(をはりなかじまのあまべのあたひらのみおや)

 斗女(とめの)

天玉櫛彦命(あまのたまくしひこのみこと):間人連等祖(はしひとのむらじらのみおや)

天湯津彦命(あまのゆつひこのみこと):安芸国造等祖(あきのくにのみやつこらのみおや)

天神魂命(あまのかんたまのみこと):葛野鴨県主等祖(かどのゝかもあがたぬしらのみおや)
亦た三統彦命
(みむねひこのみこと)と云ふ。

天三降命(あまのみくだりのみこと):豊田宇佐国造等祖(とよたうさのくにのみやつこらのみおや)

天日神命(あまのひのかみのみこと):対馬県主等祖(つしまのあがたぬしらのみおや)

乳速日命(ちはやひのみこと):広湍神麻続連等祖(ひろせのかむをみのむらじらのみおや)

八坂彦命(やさかひこのみこと):伊勢神麻続連等祖(いせのかむをみのむらじのおや)

天活王命伊佐布魂命(あまのいくたまのみこといさふたまのみこと)倭久連等祖(わくのむらじたちのおや)

伊岐志邇保命(いきしにほのみこと)山代国造等祖(やましろのくにのみやつこたちのおや)

活玉命(いくたまのみこと)新田部直等祖(にひたべのあたひたちのおや)

少彦根命(すくなひこねのみこと)鳥取連等祖(ととりのむらじたちのおや)

事湯彦命(ことゆつひこのみこと)取尾連等祖(とりをのむらじたちのおや)

八意思兼神(やごころおもひかねのかみ)の児表春命(みこうははるのみこと)

信乃阿智祝部等祖(しなののあちのいはひべたちのおや)

天下春命(あまのしたはるのみこと)武蔵秩父国造等祖(むさしちちぶのくにのみやつこたちのおや)

月神命(つきたまのみこと)壱岐県主等祖(いきあがたぬしたちのおや)


五部人(いつとものひと)を副従為(そへしたがひ)て天降供奉(あまくだりつかへまつ)らしむ。

物部造等(もののべのみやつたち)の祖天津麻良(あまつまら)

笠縫部等(かさぬいべたち)の祖天勇蘇(おやあまのゆそ)

為奈部等(いなべたち)の祖天津赤占(おやあまつあかうら)

十市部首等(といちべのおびとたち)の祖富々侶(おやほほろ)

筑紫弦田物部等(つくしのつるたのもののべたち)の祖天津赤星(おやあまつあかほし)


五部造伴領(いつとものみやつこものみやつこ)と為し、天物部(あまつもののべ)を率て天降供奉(あまくだりつかへまつ)る。

二田造(ふつだのみやつこ)

大庭造(おほばのみやつこ)

舎人造(とねりのみやつこ)

勇蘇造(ゆそのみやつこ)

坂戸造(さかとのみやつこ)


天物部等(あまのもののべら)二十五部人(はたちあまりいつとものをのかみ)、同じく兵杖を帯て天降供奉る(おなじく つばものを をびて あまくだりつかへまつる)。(25部隊)

二田物部(ふつだのもののべ)    須尺物部(すじやくのもののべ) 芹田物部(せりたのもののべ)
赤間物部(あかまのもののべ)    横田物部(よこたのもののべ) 狭竹物部(さたけのもののべ)
浮田物部(うきたのもののべ)    肩野物部(かたのゝもののべ) 足田物部(あしだのもののべ)
尋津物部(ひろつのもののべ)    田尻物部(たじりのもののべ) 住跡物部(すみのとのもののべ)
久米物部(くめのもののべ)    讃岐三野物部(さぬきのみののもののべ) 大豆物部(おほまめのもののべ)
筑紫聞物部(つくしのきくのもののべ)    羽東物部(はつかしのもののべ) 相槻物部(あひつきのもののべ)
布都留物部(ふつるのもののべ)    播麻物部(はりまのもののべ) 当麻物部(たきまのもののべ)
鳥見物部(とみのもののべ)    嶋戸物部(しまとのもののべ) 筑紫贄田物部(つくしのにえたのもののべ)
巷宜物部(そがのもののべ)       

船長同く共に梶取等を率領て天降供奉る(ふねのをさ おなじくともに かじとりらを ひきいて、あまくだりつかえまつる)

船長跡部首等の祖天津羽原(ふねのをさ あとべのおびとら の おやあまつはばら)

梶取阿刀造等の祖天津麻良(かぢとりあとのみやつこら の おやあまつまら)

船子倭鍛師等の祖天津真浦(ふなこやまとのかぬちら の おやあまつまうら)

笠経等の祖天津麻占(かさぬひら の おやあまつまうら)

曾曾笠縫等の祖天都赤麻良(そそのかさぬひら の おやあまのつあかまろ)

為奈部等の祖天津赤星(いなべら の おやあまつあかほし)

 以上、ニギハヤヒ以下、豪族44人の率いる25軍団、船方6人とあり、軍団にはどれほどの兵士が居たかは定かでないが、膨大な人数による大部隊だったであろう。


 ニギハヤヒの東遷に従った二十五部の物部(軍団)のうち、出自地の判明したもの51)は、以下のとおりである。

二十五部の物部(軍団)の出自地

二田(ふただの)物部 福岡県小竹町新多

当麻(たきま)物部 熊本県益城郡当麻

芹田(せりた)物部  福岡県若宮町芹田

鳥見(とみ)物部  福岡県遠賀町鳥見山

横田(よこたの)物部  福岡県飯塚市横田

嶋戸(しまとのもの)物部  福岡県遠賀町島津

赤間(あかまの)物部  福岡県宗像市赤間

狭竹(さたけの)物部  福岡県小竹町小竹

大豆(おほまめの)物部  佐賀県三田川町豆田(吉野ヶ里附近)

大豆(おほまめの)物部  佐賀県北茂安町豆津(吉野ヶ里附近)

筑紫聞(つくしきくの)物部  福岡県北九州市企救

筑紫贄田(つくしにえたの)物部  福岡県鞍手町新北

十市(といちの)物部  福岡県若宮町都地

弦田(つるたの)物部 福岡県宮田町鶴田

筑後物部本拠 福岡県久留米市高良大社附近

 これらの物部の出自の場所は、遠賀川と筑後川の沿岸が多く、北九州でも末慮国(まつらのくに=佐賀県唐津市附近)、伊都国(福岡県前原町附近)、奴国(なのくに=福岡市博多附近)その他原始国家として残されたところからは物部の出自はない。

 この国々はスサノオの九州制圧に服従して、国王や住民もそのまま残されたためであると思う。また、南九州日向の大日霊女貴尊(アマテラス)の統治地域からも物部の出自はない。

 なお、スサノオに反抗して全滅させられたと考えられる佐賀県吉野ヶ里附近から「大豆物部(おおまめのもののべ)」も参加している。これは、吉野ヶ里軍の降伏した敗残兵たちがニギハヤヒの東遷に駆り出されたものとみられる。

 吉野ヶ里は、スサノオ軍により全滅させられた後、ニギハヤヒ(当時はオオトシ)が統治していた51)とみられ、まだ若かったオオトシ時代からの部下として統治に参画したのであろう。


もとに戻る 次に進む

魅惑のくだもの チェリモヤ   古代史の真相を糺す(サイトマップ)